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「代表取締役職人」の挑戦
地元紙、紋別新聞に連載(199.4.27~1999.5.1)されました。
真砂町2丁目の旧国道から少し山側に工場兼直売所を構える(有)フューモアール「オホーツク燻(くん)製工房」。
地元でとれるホッケ、サーモン、ホタテなどの素材を、食品添加物、化学調味料を用いずに、時間を掛けて薪とおがくずで燻(いぶ)す昔ながらの製法。
地元ではそれほど知られていないが、素材のうまみを引き出したその味は、全国雑誌や通信販売のカタログに載るほどの評価を受けている。
製造を手がけるのは「代表取締役職人」を名乗る安倍哲郎さん(45)。 経営や営業までも一人で切り盛りするその奮闘ぶりを語ってもらった。
(5回連載)
連載01 >> 「じり貧」から再出発
ニヤマ安倍商店から名前を変えて三年経ち、ようやく「この先も続けていけるかな」と希望が見えてきたところかな。
もともとは、スケソウが原料のすきみ、そぼろを主に製造してました。燻製も、じいさんが秋田から釧路に移った九十年ほど前から作り始め、代々続いてます。
26歳のときに帰郷し、おやじの手伝いの暇を見て燻製の商品開発を始めました。最初は、紅ザケのスモークサーモン。市内のオーナーシェフ・安藤憲四郎さん(レストランあんどう)が気に入ってくれ、今も定番商品として店に置いてもらっています。その後もマス、イカ、ホタテ、タコ、サバなどの開発改良を重ねました。ほとんど趣味の世界ですね。
8年前ほど前かな、スケソウの減少で主力のすきみ、そぼろが生産できなくなった。年々生産が落ち、今までの利益を食いつぶす状態が続いていたのですが、そぼろは永遠不滅で、まさか原料がなくなるとは思ってもいなかったですよ。
転換を迫られたとき、所有している設備で生産できるのは燻製だけ。比較的付加価値が高かったこともあり、作り続けることを決めました。フューモアールは、フランス語で燻製室の意味。「オレは燻製屋で生きていくぞ」という気持ちの表れでした。
海産まつりには第2回から出店してますが、実は、新しい名前に切り替えた途端お客が来なくなった(笑)。「ニヤマ」は、じいさんのときから親しまれてきた屋号だからね。今は、両方の名前を出しています。
(第1回1999.04.27)
<プロフィール> 昭和28年釧路生まれ。中学時代まで紋別で育つ。早稲田大仏文科卒。昭和54年、祖父の代から続くニヤマ安倍商店を継ぐため紋別へ帰郷。平成八年から現社名。「代表取締役職人」を名乗り現在に至る。
連載02へ >> 味を設計する
燻製の作り方は、祖父の方法を伝承しています。じいさんが化けて出たら「全然変わっていないな」と驚くだろうね(笑)。
おやじの代になり食品添加物が登場した。当時は、輸送技術が確立していない時代。おかげでものが腐らない、食中毒にならない。日本人の寿命も延びた。今では諸悪の根元のようにも言われるけど、立派な役割を果たした面もあるんです。
そのうち、世の中に「無添加」の流れが出てきて、うちにも「無添加なら売ってやる」という要望が来た。有機野菜や自然食品を全国的に宅配している業者「らでぃっしゅぼーや」です。
要望は、食品添加物以外にも化学調味料、養殖物、輸入物は一切使わないというものでした。らでぃっしゅぼーやの分だけ作り分けるのは難しい。それなら全部切り替えよう、と今のスタイルになったわけです。
食べ物屋にとっては、食品添加物や化学調味料を抜くのは清水の舞台から飛び降りるようなものです。知り合いからも「味が変わるからやめとけ」と言われました。
ただ、食品添加物はカビ止め(ソルビン酸カリウム)を使っていた程度で、抜く自信はありました。大して効いていないと思ってたんですが、抜いた途端に原材料を入れていた樽がカビだらけになった。改めてその効力には驚きました。カビ止めを抜いたことで大量生産ができなくなり、生産量は2割減らしました。
グルタミン酸ソーダ(化学調味料)を抜くのは、最初は自分でも自信がなかった。グルタミン酸ソーダとは、いわゆる「うま味」のことです。
そこで考えたのは、素材を燻(いぶ)してタンパク質を分解してやればいい。そうすればアミノ酸が生まれ、素材の持っているうま味が引き出されるはずです。それに塩、砂糖、みりん、酢を組み合わせて味を設計しました。この4つの調味料も銘柄を厳選しています。素材にあった加熱、乾燥、熟成方法なども研究しました。
結果としては、味が自然に近くなった。心配したほどクレームもなくホッとしました。2年目からは味も安定してきました。
出来るだけ素材のうまさをこわさないで作り上げる。そこが面白いですね。ただ、問題は売れるかどうかです。
(第2回1999.04.28)
連載03へ >> 「売れない」は「知らない」
これまでと製法を変えて、化学調味料、食品添加物を使わない自然な味になった。自分ではいいと思っていても、最初は受け入れられるか半信半疑でしたね。
もともと、問屋さんにどかっと商品を卸すような商売じゃなく、直売がほとんどでした。だから、せっかくいいものを作っても、昔からのお客さん以外には売れなかった。
そこで考えたのがギフトへの対応です。旭川のマルカツデパートに取り扱ってもらったり、お客さんにダイレクトメールを出しました。市内にチラシを配ったら「そんな店があるなんて知らなかった」という反応もありました。モノが「売れない」ではなく「知らない」ということだったんです。
おかげで、徐々にうちの燻製が注目されだしました。また、セットで商品を提案することで、逆に単品で置いてくれる店も出てきて相乗効果を生みました。
そのころからモノづくりの仲間などをたどって、いろんなところへ顔を出すようになりました。それまで、工場にしかいなかったお手伝い職人の私ですが、暇なときには帯広や鳥取、山形へ出かけるようになりました。人との信頼関係が出来るにつれ、商品も動き出しました。
そうして知り合った帯広・六花亭の小田豊社長からは、商品を企画し、販売することを学びました。六花亭は何百種類ものお菓子を扱っているけど、モノがいいからといって黙っていては売れない。値段の付け方、売り方など総合した商品づくりをしなければ、決して買ってもらえないのです。
うちのギフトの箱には、もらった人が喜んでもらえるようにと、自作の詩を書き入れています。燻製を作る過程や思いをつづったのですが、これがものすごい反響でした。
今のお客さんは、単にモノを買えればいいだけでなく、作り手の思いを共有したくなってきている。大げさにいえば、作り手の物語を知ることで、自分たちもモノづくりに参加している気分になっているのではと思います。
(第3回1999.04.29)
連載04へ >> 情報ネットで全国区
うちの燻製も、人づてで徐々に知られてきたんですが、私が動き回るだけでは思うように広がらない。かといって、郵便やダイレクトメールをやみくもに送っても反応は少ない。限界を感じて、もっといい方法はないかと考えるようになりました。
中学時代の同級生でもある山市喜雅くん(ソーゴー専務)に何年も前からからコンピュータを勧められ、昨年五月にようやくマッキントッシュを買いました。これをきっかけにコペルニクス的大転換が起きたんです。
実は、パソコンのことはよく分からなかったんですよ。買うときもワープロの代わりになりゃいいかなという程度で。チラシも作れるぞ、インターネットで商品を発表できるぞといわれて、なるほどと気付きました。
うちのホームページを作ってくれたのも山市くんです。これがやたら評判がいい。ある会社からは「ああいうホームページなら製品にもこだわっているはず」と取扱いを求める電話がかかってきたほどです。外部に発信するという、うちの足りない部分を補ってくれました。
とにかく、業者は情報探しにインターネットを活用してますね。昨年秋に全国雑誌の「ウッディライフ」(山と渓谷社)がうちを初めて取り上げてくれたんですが、これもホームページがきっかけでした。
この春には、警備会社のセコムが自社の得意先に配る通販カタログ「セコムの食」にも取り上げてもらいました。オールカラーで15万部。それだけの人にうちの燻製を知ってもらえた。テレビほどの効果はないにしろ、私にとってはすごいことです。夢をもらいました。
それから、逆にセコムに山市くんを紹介したら、会員専用「スーパーターミナル」のホームページを山市くんが作ることになったんですよ。おもしろいよね。
インターネットを使うようになってから、加速度的に知り合いや商品を扱いたいという依頼が増えました。狭い分野の営業じゃなくて、インターネットがいろんな業種を取り持って「人間ネット」ができた感じですね。
(第4回1999.04.30)
連載05へ >> 本物指向の輪を
「代表取締役職人」という肩書きは、どこでもおもしろがられますね。ものづくりと経営者、一人で何でもしなきゃいけない。そんな自分を言い表すにはこれしかないと思っています。
地元の原料を使う、自分の手で加工する、自分で売り先を探す。これをこの3年間徹底してきました。そこにインターネットなどの新しい媒体やメディア、雑誌がからんできた。売り上げを伸ばすためにたい肥を2年間やって、やっと芽が出た感じです。
燻製づくりを今のやり方にするとき、家でも食品添加物、化学調味料を抜いた食生活にしました。最初はおいしくないと感じたのですが、半年ぐらいやって素材のうまさを感じるようになった。質素になって、逆に豊かなものが見えてきたんです。
世の中は、だんだん味が強くなる方向へ向かっているけど、ここにきて「ついていけない」「飽きた」という人が出てきた。”味覚のバブル”がはじけたんです。 そういう人たちがうちの燻製にも注目していると思うんですよ。
「燻製イコール珍味」というイメージも変えたいですね。そのまま食べるだけじゃなく、料理の素材にしてもおいしいんです。燻製って本当に知られていない。市民権を確立したいです。 我々ものづくりは、30、50、100年後を考えて、次の世代に伝承していくものをしっかり作らないといけない。単にお金を残すのではなく、ものづくりの考え方を残すことが大事だと思います。
幸い、紋別には海、農産物がある。農家は困るでしょうが、冷涼な気候も雑菌が増えず食品加工にはいい。農家もチーズなんかやればおもしろいですよ。 紋別の地域特性にあった本物の食品をつくる集まりができればいいですね。名前は、一品と、人と品をかけて「ひと・しなの会」。条件は、紋別産の原料を使用する、無添加、ごまかさない、100人中50人がおいしいと感じる、自社で作る、の5点。おいしくいいものを作ろうという気持ちで100人が100種類のものを作れば、すごい紋別のパワーになりますよ。
市食品加工センターがもうすぐオープンしますが、新しい人のつながり、新しい品を作る環境ができてほしい。燻製のことに興味がある人は何でも教えてあげますよ。遠慮なく訪ねて下さい。
=おわり=
(第5回1999.05.01)
>> ひと・品(しな)を求めて